作品紹介
桜井 ゆな/25歳/入社3年目
「部長、ちょっとお時間いいですか」
ある朝、緊張した顔で僕のデスクにやってきた。
「来年の春に結婚することになって……式に合わせて、退職させていただきたいんです」
左手の薬指には、真新しい婚約指輪。
入社した頃から面倒を見てきた、素直で人懐っこい部下だった。
昼休みには、式場の写真を見せながら大笑いして。
朝礼で退職が発表されると、拍手に照れて両手で顔をおおった。
夜の会議室では、引き継ぎのことを真剣に話して。
給湯室に行けば、頼んでもいないのに僕のお茶までいれてくれる。
でも帰り道、式の準備の通知を見たときだけ、
ほんの一瞬、疲れた顔をしていた。
送別会では、花束を抱えて泣いていた。
「部長には、ほんとうにお世話になりました」
それ以上でも、それ以下でもない。
僕たちは、ずっとそういう距離だった。
最後の出張。
新幹線の窓から外を眺める横顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
その夜、ホテルのバー。
ほろ酔いの彼女が、初めて弱音をこぼした。
式の準備のこと、仕事を辞めること、これからのこと。
エレベーターの中で、そっと袖をつままれる。
部屋の前で、彼女は小さくうなずいた。
「……最後、だから」
翌朝、枕元には外した婚約指輪とバレッタが並んでいた。
2人とも何も言わないまま、1日だけで終わるはずだった。
最終日の昼。
片づいたデスクの前で、彼女は泣きそうな顔で笑っていた。
そして、その夜。
明かりがついているのは、僕のデスクだけだった。
「……これ、返しに来ただけです」
社員証を置いても、彼女は帰ろうとしない。
「明日からは、ただの他人ですね」
あの夜は外した指輪を、今夜は外さないまま――
「部長、ちょっとお時間いいですか」
ある朝、緊張した顔で僕のデスクにやってきた。
「来年の春に結婚することになって……式に合わせて、退職させていただきたいんです」
左手の薬指には、真新しい婚約指輪。
入社した頃から面倒を見てきた、素直で人懐っこい部下だった。
昼休みには、式場の写真を見せながら大笑いして。
朝礼で退職が発表されると、拍手に照れて両手で顔をおおった。
夜の会議室では、引き継ぎのことを真剣に話して。
給湯室に行けば、頼んでもいないのに僕のお茶までいれてくれる。
でも帰り道、式の準備の通知を見たときだけ、
ほんの一瞬、疲れた顔をしていた。
送別会では、花束を抱えて泣いていた。
「部長には、ほんとうにお世話になりました」
それ以上でも、それ以下でもない。
僕たちは、ずっとそういう距離だった。
最後の出張。
新幹線の窓から外を眺める横顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
その夜、ホテルのバー。
ほろ酔いの彼女が、初めて弱音をこぼした。
式の準備のこと、仕事を辞めること、これからのこと。
エレベーターの中で、そっと袖をつままれる。
部屋の前で、彼女は小さくうなずいた。
「……最後、だから」
翌朝、枕元には外した婚約指輪とバレッタが並んでいた。
2人とも何も言わないまま、1日だけで終わるはずだった。
最終日の昼。
片づいたデスクの前で、彼女は泣きそうな顔で笑っていた。
そして、その夜。
明かりがついているのは、僕のデスクだけだった。
「……これ、返しに来ただけです」
社員証を置いても、彼女は帰ろうとしない。
「明日からは、ただの他人ですね」
あの夜は外した指輪を、今夜は外さないまま――