作品紹介
放課後の青凪総合高校。
榊原朋花の高校生活は、レスリング部を中心に回っていた。けれど三年生になった春から、そこに少しだけ別の色が混じり始めていた。
同じクラスの朝倉蓮。背が高く、目立つ容姿なのに妙に気取らない男子だった。
最初は朋花の友人たちが面白がっていただけだった。
「朋花、朝倉また見てたよ」
「見てないでしょ」
「いや、見てたって」
朋花は笑って流す。しかし、朝倉が練習後の朋花を待っていたり、コンビニへ寄る数分だけ一緒に帰ったりすることが増えると、さすがに本人も意識し始めた。
ある日、朝倉が何気なく言った。
「次の試合、見に行っていい?」
「……なんで?」
「榊原が出るから」
朋花は一瞬黙った。
「そういうこと普通に言う?」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど……」
その日の朋花は、別れたあともしばらく一人でニヤけていた。
一方、レスリング部ではそんな浮ついた様子をほとんど見せない。
五十代のコーチから課される練習は厳しかった。
「榊原、もう一本!」
「はい!」
息を切らし、汗だくになっても立ち上がる。
「お前ならもっと上まで行ける。そこで妥協するな」
その言葉を朋花は信じていた。
だから、練習後にコーチから「話がある」と監督室へ呼ばれたときも、最初は試合についての話だと思った。
ところが話は妙な方向へ進んだ。
フォーム確認を口実に、着替えに関する不自然な要求を遠回しに持ち出してくる。
朋花の表情から笑顔が消えた。
「それ、必要ですか?」
コーチは「競技のためだ」と取り繕う。
朋花はしばらく黙ったあと、はっきり言った。
「嫌です。そういうのなら帰ります」
怖くなかったわけではない。それでも荷物を掴み、そのまま監督室を出た。
廊下へ出た瞬間、朋花はようやく大きく息を吐いた。
ところが。
その一部始終を、少し離れた場所から眺めていた男がいた。
乗っ取り師・滑川たかし。
なぜ高校にいるのか。
どうやって入ったのか。
そもそも何を乗っ取りに来たのか。
それは誰にも分からない。
ただ、監督室から出てきた朋花と、室内で一人取り残されたコーチを交互に見た滑川は、小さく呟いた。
「……なるほどな」
滑川が見ていたのは、朋花ではない。
コーチだった。
欲望を隠しながら「指導者」という立場にしがみつく男。
朋花に拒絶され、計画が崩れて狼狽する姿。
滑川の口元が、わずかに緩んだ。
「こういう奴ほど――乗っ取ったとき、面白いんだよな」
そのころ朋花は、そんな人物が背後にいたことなど知らない。
校門まで来ると、朝倉が待っていた。
「榊原?」
「え?」
「なんかあった?」
朋花は答えようとして、やめた。
「……ちょっとだけ」
いつもなら「別に」と誤魔化していたはずだった。
けれど、その日は違った。
朝倉も無理に聞こうとはしない。
「じゃあ、駅まで一緒に帰ろ」
「うん」
二人の距離が、ほんの少し縮まる。
そして校舎では――朋花の知らないところで、滑川たかしが静かに動き始めていた。
榊原朋花の高校生活は、レスリング部を中心に回っていた。けれど三年生になった春から、そこに少しだけ別の色が混じり始めていた。
同じクラスの朝倉蓮。背が高く、目立つ容姿なのに妙に気取らない男子だった。
最初は朋花の友人たちが面白がっていただけだった。
「朋花、朝倉また見てたよ」
「見てないでしょ」
「いや、見てたって」
朋花は笑って流す。しかし、朝倉が練習後の朋花を待っていたり、コンビニへ寄る数分だけ一緒に帰ったりすることが増えると、さすがに本人も意識し始めた。
ある日、朝倉が何気なく言った。
「次の試合、見に行っていい?」
「……なんで?」
「榊原が出るから」
朋花は一瞬黙った。
「そういうこと普通に言う?」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど……」
その日の朋花は、別れたあともしばらく一人でニヤけていた。
一方、レスリング部ではそんな浮ついた様子をほとんど見せない。
五十代のコーチから課される練習は厳しかった。
「榊原、もう一本!」
「はい!」
息を切らし、汗だくになっても立ち上がる。
「お前ならもっと上まで行ける。そこで妥協するな」
その言葉を朋花は信じていた。
だから、練習後にコーチから「話がある」と監督室へ呼ばれたときも、最初は試合についての話だと思った。
ところが話は妙な方向へ進んだ。
フォーム確認を口実に、着替えに関する不自然な要求を遠回しに持ち出してくる。
朋花の表情から笑顔が消えた。
「それ、必要ですか?」
コーチは「競技のためだ」と取り繕う。
朋花はしばらく黙ったあと、はっきり言った。
「嫌です。そういうのなら帰ります」
怖くなかったわけではない。それでも荷物を掴み、そのまま監督室を出た。
廊下へ出た瞬間、朋花はようやく大きく息を吐いた。
ところが。
その一部始終を、少し離れた場所から眺めていた男がいた。
乗っ取り師・滑川たかし。
なぜ高校にいるのか。
どうやって入ったのか。
そもそも何を乗っ取りに来たのか。
それは誰にも分からない。
ただ、監督室から出てきた朋花と、室内で一人取り残されたコーチを交互に見た滑川は、小さく呟いた。
「……なるほどな」
滑川が見ていたのは、朋花ではない。
コーチだった。
欲望を隠しながら「指導者」という立場にしがみつく男。
朋花に拒絶され、計画が崩れて狼狽する姿。
滑川の口元が、わずかに緩んだ。
「こういう奴ほど――乗っ取ったとき、面白いんだよな」
そのころ朋花は、そんな人物が背後にいたことなど知らない。
校門まで来ると、朝倉が待っていた。
「榊原?」
「え?」
「なんかあった?」
朋花は答えようとして、やめた。
「……ちょっとだけ」
いつもなら「別に」と誤魔化していたはずだった。
けれど、その日は違った。
朝倉も無理に聞こうとはしない。
「じゃあ、駅まで一緒に帰ろ」
「うん」
二人の距離が、ほんの少し縮まる。
そして校舎では――朋花の知らないところで、滑川たかしが静かに動き始めていた。