作品紹介
「この前の、お孫さんの話なんだけど」
俺の部屋で夕飯を食べ終えたあと、佳澄が少し困った顔で切り出した。
「会長の? 佳澄のファンだっていう」
「うん。私、勝手に、小さい子だと思ってたんだけど……二十代の男の人だった」
「そうだったんだ」
「今はお仕事もしてなくて、普段はおうちにいるんだって。紹介していただいて、少しお話ししたの」
佳澄は膝の上で指を組み直した。
「どんな話?」
「写真の話が多かったかな。髪を下ろしてるほうが好きです、とか」
「ああ」
「応援してくださってありがとうございます、とはお伝えしたんだけどね。私、スケートを始めた子なのかな、とか、何を教えてあげられるかな、とか考えてたから」
少し張り切りすぎた、と佳澄は苦笑した。
あの日のうれしそうな顔を思い出す。思い描いていたファンとは、随分違ったのだろう。それでも、その男性を悪く言うような言葉は続かなかった。
「それでね。今日は別に、相談したいことがあって」
佳澄が鞄からスマホを取り出した。
「会長から、グラビアのお仕事を勧められたの」
「グラビア?」
聞き返すと、佳澄は頷いた。
「お知り合いの出版社に紹介できるって。競技以外の姿も知ってもらえたら、応援してくれる人が増えるんじゃないかって言われて」
差し出された画面には、企画についての説明と、撮影の日程候補が並んでいた。
俺が読み進めるより先に、佳澄が言った。
「それで……撮影のメイン、水着なんだって」
画面をなぞっていた指が止まった。
「水着?」
「うん。私服とか、普段の雰囲気の写真も撮るけど、中心になるのは水着での撮影だって。衣装の種類とか、詳しい撮り方は、これから相談するみたい」
確かに、企画の説明にも書いてあった。
さっきまで曖昧だった「グラビア」という言葉が、急に具体的になった。
佳澄が水着でカメラの前に立つ。その写真が雑誌になり、誰でも手に取れる場所に並ぶ。
「最初は、断ろうと思ったの」
佳澄は俺の顔を見ていた。
「競技の取材ならまだしも、水着って言われたら、やっぱり……自分がやることだと思ってなかったから」
「うん」
「でも、報酬を聞いたら、すぐにはお返事できなくなっちゃって」
画面の下に記された金額へ、俺も目を落とした。
少なくとも俺たちにとって、軽く考えられる額ではなかった。
「これだけあったら、次の遠征費、かなり助かるんだよね。振付の費用もあるし。お父さんたちにお願いしようと思ってた分、自分で出せるかもしれない」
佳澄はスマホを持ち直した。
「普通の取材写真だったら、こんなに迷わないんだけど」
小さく息をついて、画面を伏せる。
「だから、どう思うか聞きたくて」
やめてほしい。
最初に浮かんだのは、その一言だった。
競技衣装で滑る佳澄を見るのとは違った。滑りでもジャンプでもなく、水着姿の彼女を見るために、その雑誌を買う男がいる。
会長の孫の話まで頭をよぎった。
俺は、何と答えるか決められないまま、テーブルに置かれたスマホを見ていた。
ところが、そのうちに別の光景が浮かんできた。
練習仲間の誰かが雑誌を手にして、俺に振り向く。
――これ、お前の彼女だろ?
俺は、たいしたことでもないように頷く。
――そう。撮影を頼まれたんだって。
相手が驚く顔まで、妙にはっきり想像できた。
佳澄は国内六位の選手だ。そのために何を積み重ねてきたか、俺は知っている。
それでも、世間に広く顔を知られているわけではない。リンクを離れれば、仕事帰りに買い物をして、ラジオへの投稿が読まれたとはしゃぐ、身近な俺の彼女だった。
その佳澄が、グラビアに出る。
知らない人から、きれいだと言われる。
そして俺は、その彼氏だと人に言える。
さっきまで嫌だったはずのことを、俺は別の角度から眺め始めていた。
自分が何かを成し遂げたわけではない。佳澄の順位にも、この仕事の話にも、俺の功績なんてない。
それなのに、彼女が注目されれば、自分まで少し立派に見えるような気がした。
「……やっぱり、水着は嫌だよね」
佳澄の声に、顔を上げた。
「黙っちゃったから」
「いや」
否定してから、その続きを考える。
佳澄は俺の言葉を待っていた。
「私もまだ迷ってるの。会長に勧めていただいたからって、無理に引き受けるつもりはないんだけど……お金のことを考えると、ちゃんと話を聞いてから決めたほうがいいのかなって」
俺は頷いた。
「そうだな」
「相談するの、ちょっと緊張した。水着の仕事をしていいかなんて、どう聞けばいいのかわからなくて」
佳澄が気まずそうに笑った。
俺の部屋で夕飯を食べ終えたあと、佳澄が少し困った顔で切り出した。
「会長の? 佳澄のファンだっていう」
「うん。私、勝手に、小さい子だと思ってたんだけど……二十代の男の人だった」
「そうだったんだ」
「今はお仕事もしてなくて、普段はおうちにいるんだって。紹介していただいて、少しお話ししたの」
佳澄は膝の上で指を組み直した。
「どんな話?」
「写真の話が多かったかな。髪を下ろしてるほうが好きです、とか」
「ああ」
「応援してくださってありがとうございます、とはお伝えしたんだけどね。私、スケートを始めた子なのかな、とか、何を教えてあげられるかな、とか考えてたから」
少し張り切りすぎた、と佳澄は苦笑した。
あの日のうれしそうな顔を思い出す。思い描いていたファンとは、随分違ったのだろう。それでも、その男性を悪く言うような言葉は続かなかった。
「それでね。今日は別に、相談したいことがあって」
佳澄が鞄からスマホを取り出した。
「会長から、グラビアのお仕事を勧められたの」
「グラビア?」
聞き返すと、佳澄は頷いた。
「お知り合いの出版社に紹介できるって。競技以外の姿も知ってもらえたら、応援してくれる人が増えるんじゃないかって言われて」
差し出された画面には、企画についての説明と、撮影の日程候補が並んでいた。
俺が読み進めるより先に、佳澄が言った。
「それで……撮影のメイン、水着なんだって」
画面をなぞっていた指が止まった。
「水着?」
「うん。私服とか、普段の雰囲気の写真も撮るけど、中心になるのは水着での撮影だって。衣装の種類とか、詳しい撮り方は、これから相談するみたい」
確かに、企画の説明にも書いてあった。
さっきまで曖昧だった「グラビア」という言葉が、急に具体的になった。
佳澄が水着でカメラの前に立つ。その写真が雑誌になり、誰でも手に取れる場所に並ぶ。
「最初は、断ろうと思ったの」
佳澄は俺の顔を見ていた。
「競技の取材ならまだしも、水着って言われたら、やっぱり……自分がやることだと思ってなかったから」
「うん」
「でも、報酬を聞いたら、すぐにはお返事できなくなっちゃって」
画面の下に記された金額へ、俺も目を落とした。
少なくとも俺たちにとって、軽く考えられる額ではなかった。
「これだけあったら、次の遠征費、かなり助かるんだよね。振付の費用もあるし。お父さんたちにお願いしようと思ってた分、自分で出せるかもしれない」
佳澄はスマホを持ち直した。
「普通の取材写真だったら、こんなに迷わないんだけど」
小さく息をついて、画面を伏せる。
「だから、どう思うか聞きたくて」
やめてほしい。
最初に浮かんだのは、その一言だった。
競技衣装で滑る佳澄を見るのとは違った。滑りでもジャンプでもなく、水着姿の彼女を見るために、その雑誌を買う男がいる。
会長の孫の話まで頭をよぎった。
俺は、何と答えるか決められないまま、テーブルに置かれたスマホを見ていた。
ところが、そのうちに別の光景が浮かんできた。
練習仲間の誰かが雑誌を手にして、俺に振り向く。
――これ、お前の彼女だろ?
俺は、たいしたことでもないように頷く。
――そう。撮影を頼まれたんだって。
相手が驚く顔まで、妙にはっきり想像できた。
佳澄は国内六位の選手だ。そのために何を積み重ねてきたか、俺は知っている。
それでも、世間に広く顔を知られているわけではない。リンクを離れれば、仕事帰りに買い物をして、ラジオへの投稿が読まれたとはしゃぐ、身近な俺の彼女だった。
その佳澄が、グラビアに出る。
知らない人から、きれいだと言われる。
そして俺は、その彼氏だと人に言える。
さっきまで嫌だったはずのことを、俺は別の角度から眺め始めていた。
自分が何かを成し遂げたわけではない。佳澄の順位にも、この仕事の話にも、俺の功績なんてない。
それなのに、彼女が注目されれば、自分まで少し立派に見えるような気がした。
「……やっぱり、水着は嫌だよね」
佳澄の声に、顔を上げた。
「黙っちゃったから」
「いや」
否定してから、その続きを考える。
佳澄は俺の言葉を待っていた。
「私もまだ迷ってるの。会長に勧めていただいたからって、無理に引き受けるつもりはないんだけど……お金のことを考えると、ちゃんと話を聞いてから決めたほうがいいのかなって」
俺は頷いた。
「そうだな」
「相談するの、ちょっと緊張した。水着の仕事をしていいかなんて、どう聞けばいいのかわからなくて」
佳澄が気まずそうに笑った。