作品紹介
◇滑川の視点
滑川は決めた。
森山は今日も会社に来る。今日も同じように下手に絡み、同じように断られ、同じように「ツンデレだ」と一人で納得して帰るのだろう。
(見てるだけは、今日で終わりだ)
非モテの男を救う。そのためには、まず女の側の「拒絶」を止めなければいけない。
天井に近い場所から、彼はふみかの背中を見下ろした。

昼前、森山が試作品の束を抱えて現れた。
「榎並さん、おはようございます。今日も可愛いですね、その髪型」
いつもの絡み方だった。
ふみかは内心で身構えた。
(まただ。今日こそ、上司に相談しよう)
口を開く。冷たく、短く返すはずだった。
「ありがとうございます。森山さんに言われると、嬉しいです」
……え?
ふみかの思考が止まった。
今の声は、確かに自分の声だった。しかも、甘さを含んだ笑顔まで作っている。頬が勝手に緩み、視線が森山をまっすぐ捉えた。
(違う、私、そんなこと言ってない!)
森山が目を丸くした。
「え……ほ、本当ですか? 榎並さん、今、嬉しいって……」
「はい。いつも気にかけてくださってますよね」
身体が、勝手に一歩も下がらない。昨日までなら距離を取っていたのに、今日のふみかは森山の近くに立ったまま、笑っていた。
頭の中に、あの声が響いた。
――やあ、ふみかちゃん。やっと入らせてもらうよ。
(誰……出て行って、私の身体……!)
――滑川たかし。心配しなくていい。森山のためだ。あの可哀想な男のため、お前は少しだけ優しくするんだ。
身体の主導権が、奥へ押し込められた感覚。ふみかは自分の内側で、透明な壁を叩くように叫んでいた。けれど口は、別の言葉を紡ぎ続ける。
「この前送ってくれたアロハシャツの写真も、素敵でしたよ。仕事の時と違って」
「そ、そうでしょう!? あれ、若い子受けするかなって思って選んだんですよ!」
「ギャップがあっていいと思います」
森山の顔が、一気に明るくなった。何年もため込んだ勘違いが、一気に肯定された顔だった。
調子に乗った彼は、いつもより饒舌になった。
「じゃあ榎並さん、金曜はどうです? 前言ってた店、梅酒のソーダ割りが美味しいんですよ。今度こそ、二人で」
(断る! 絶対に断る!)
ふみかは内側で必死に首を振った。
けれど彼女の口は、はっきりと答えた。
「行きます。金曜、19時に駅前で待ってますね」
森山が息をのんだ。
「ほ、本当に!?」
「はい。楽しみにしてます。……彼には内緒でお願いしますね」
その一言で、森山は完全に舞い上がった。
「分かりました! 絶対、絶対いい店を予約しますから! 個室、取ります!」
彼は足取りも軽く、電話をかけながら去っていった。「二人、予約で。いや、特別な席で」などと、廊下にまで声が漏れていた。
その背中が角を曲がった瞬間――
ふっと、身体の重さが自分に戻った。
ふみかは廊下で立ち尽くし、自分の両手を見つめた。指は震えていた。口も、もう勝手には動かない。
「違う……今の、私じゃない……」
急いで森山を追いかけようとした、その時、スマホが震えた。
『予約できました! 金曜19時、駅前の個室です。ずっと夢みたいです』
続けて、自分の送信履歴に、見覚えのない一文があった。
『やっと二人で飲めますね。私から誘えなくてごめんなさい』
送信した覚えは、ない。けれど、送信したのは、彼女の指だった。
トイレの個室に駆け込んだふみかは、取り消しの文章を打とうとして、指がぴたりと止まる感覚に息をのんだ。
頭の奥で、低い笑い声がした。
――当日まで、大人しくしてな。
飲みの約束は、成立してしまった。
滑川は決めた。
森山は今日も会社に来る。今日も同じように下手に絡み、同じように断られ、同じように「ツンデレだ」と一人で納得して帰るのだろう。
(見てるだけは、今日で終わりだ)
非モテの男を救う。そのためには、まず女の側の「拒絶」を止めなければいけない。
天井に近い場所から、彼はふみかの背中を見下ろした。

昼前、森山が試作品の束を抱えて現れた。
「榎並さん、おはようございます。今日も可愛いですね、その髪型」
いつもの絡み方だった。
ふみかは内心で身構えた。
(まただ。今日こそ、上司に相談しよう)
口を開く。冷たく、短く返すはずだった。
「ありがとうございます。森山さんに言われると、嬉しいです」
……え?
ふみかの思考が止まった。
今の声は、確かに自分の声だった。しかも、甘さを含んだ笑顔まで作っている。頬が勝手に緩み、視線が森山をまっすぐ捉えた。
(違う、私、そんなこと言ってない!)
森山が目を丸くした。
「え……ほ、本当ですか? 榎並さん、今、嬉しいって……」
「はい。いつも気にかけてくださってますよね」
身体が、勝手に一歩も下がらない。昨日までなら距離を取っていたのに、今日のふみかは森山の近くに立ったまま、笑っていた。
頭の中に、あの声が響いた。
――やあ、ふみかちゃん。やっと入らせてもらうよ。
(誰……出て行って、私の身体……!)
――滑川たかし。心配しなくていい。森山のためだ。あの可哀想な男のため、お前は少しだけ優しくするんだ。
身体の主導権が、奥へ押し込められた感覚。ふみかは自分の内側で、透明な壁を叩くように叫んでいた。けれど口は、別の言葉を紡ぎ続ける。
「この前送ってくれたアロハシャツの写真も、素敵でしたよ。仕事の時と違って」
「そ、そうでしょう!? あれ、若い子受けするかなって思って選んだんですよ!」
「ギャップがあっていいと思います」
森山の顔が、一気に明るくなった。何年もため込んだ勘違いが、一気に肯定された顔だった。
調子に乗った彼は、いつもより饒舌になった。
「じゃあ榎並さん、金曜はどうです? 前言ってた店、梅酒のソーダ割りが美味しいんですよ。今度こそ、二人で」
(断る! 絶対に断る!)
ふみかは内側で必死に首を振った。
けれど彼女の口は、はっきりと答えた。
「行きます。金曜、19時に駅前で待ってますね」
森山が息をのんだ。
「ほ、本当に!?」
「はい。楽しみにしてます。……彼には内緒でお願いしますね」
その一言で、森山は完全に舞い上がった。
「分かりました! 絶対、絶対いい店を予約しますから! 個室、取ります!」
彼は足取りも軽く、電話をかけながら去っていった。「二人、予約で。いや、特別な席で」などと、廊下にまで声が漏れていた。
その背中が角を曲がった瞬間――
ふっと、身体の重さが自分に戻った。
ふみかは廊下で立ち尽くし、自分の両手を見つめた。指は震えていた。口も、もう勝手には動かない。
「違う……今の、私じゃない……」
急いで森山を追いかけようとした、その時、スマホが震えた。
『予約できました! 金曜19時、駅前の個室です。ずっと夢みたいです』
続けて、自分の送信履歴に、見覚えのない一文があった。
『やっと二人で飲めますね。私から誘えなくてごめんなさい』
送信した覚えは、ない。けれど、送信したのは、彼女の指だった。
トイレの個室に駆け込んだふみかは、取り消しの文章を打とうとして、指がぴたりと止まる感覚に息をのんだ。
頭の奥で、低い笑い声がした。
――当日まで、大人しくしてな。
飲みの約束は、成立してしまった。